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無常を見つめると本当の幸せが見える あすなろの夢と人間の5つの願い

 

2020/01/16

いつもお読みいただき、ありがとうございます。
チューリップ企画スタッフのわかです。

あすなろの叶わぬ夢

私の地元で馴染みのある有名人に作家の井上靖さんがいます。
かつて大河ドラマで描かれた『風林火山』や、映画化された『わが母の記』などの作者としても知られています。

そんな井上さんの作品に『あすなろ物語』という長編小説があるのですが、その中であすなろという木の名前の由来が語られています。

あすは檜になろう,あすは檜になろうと一生懸命考えている木よ

でも,永久に檜にはなれないんだって!それであすなろうと言うのよ」

あすなろは漢字で「翌檜」と書きます。
高級木材として知られる檜になりたいと思いながらもなれない哀れな木と表現されているのだそうです。

私は別の本でこの話を知ったのですが、なんとなく切ない気持ちになったことを覚えています。
叶わぬ夢ほど、寂しいものはないでしょう。
しかし、私たちもまた叶わぬ夢を見ているのかもしれません

人間の5つの願いとは?

人間には5つの願いがあると言われます。

いつも3月花の頃
おまえ18、わしゃ20(はたち)
死なぬ子3人、みな孝行
使って減らぬ金100万円
死んでも命のありますように

あまりにも暑いと熱中症になってしまいますし、寒すぎても風邪をひいてしまいます。
暑すぎず、寒すぎずの気温であるなら、雪も落ち着き、花粉もまだひどくないくらいが過ごしやすいでしょう。
だからこそ、花もきれいな3月頃がちょうどいい

18歳、20歳といえば一番楽しい時期です。
体力もあり、物覚えもいいし、まだまだ責任も負わなくて済みますから、気楽なもの。
自分は20歳、恋人は18くらいの年齢でずっといられたら、楽しい毎日が送れるでしょう。

親にとって、子どもに先立たれることほど悲しいことはありません。
自分の子には、健康で、元気に育ってほしいというのが親の願いではないでしょうか。
しかし、健康でも、自分を邪魔者扱いして虐待してくるような子どもはほしくない。
親孝行で、優しくしてくれる、そんな子が3人いれば順風満帆な家庭になること請け合いでしょう。

生きていくときに何よりも必要なのはお金です。
どれだけあってもいい、とは思うけれど、あまり持ちすぎると取られやしないかと不安になるので100万円くらいがいいような気がする。
でも、お金はずっとついて回るものなので、使っても減らない100万円がほしい

たとえちょうどいい季節が続いても、若さが保たれても、子どもが孝行で健康だったとしても、お金が十分に手元にあっても、死んでしまっては元も子もない。
だからこそ、命がいつまでも続いてほしい。

仏教が説く諸行無常の現実

形は違えど、皆それぞれにこのような願いを持っているのではないでしょうか。
確かに、このどれもが叶ったとしたら、幸せになれるような気がします。
しかし、これは決して叶わない夢なのです。
人生は「諸行無常」だからです。

諸行無常は仏教の言葉です。
諸行はすべてのもの、無常は常が無く続かないことで、すべてのものは永続しないことを言われています。
大きく変化するか、小さく変化するかの違いだけで、一刻一刻変わり続けていることに違いはないのです

季節も、若さも、人間関係も、お金や財産も、一時は手に入れることができても、その幸せな時間は長くは続かないでしょう。
もし、しばらくの間は続いたとしても、最後私たちはそれらをすべて置いて死んでいかなければなりません。
仏教では、最大の無常は私たちの命だと教えられています。

日々手に入れている幸せは生の上に成り立っているもの。
その生きているという前提が崩れたら、積み上げてきたどんな幸せも、一緒に崩れてしまうのです。
だからこそ、人は命が続くことを望みます。
しかし、歴史上、その願いが叶えられたという話は聞きません。

無常観が教えてくれる本当の幸せ

そうすると、私たちは幸せになれないということなのでしょうか?
仏教では、必ず死んでいかなければならない私たちの姿をありのままに説かれ、そんな私たちが死を前にしても絶対に崩れることのない幸せの身になれる道を教えられます。

無常を観ずるは菩提心の一なり

「菩提心」とは、本当の幸せを求めようという心のことです。
無常という現実から目をそらさず、ありのままに見つめる人は、本当の幸せへの第一歩を踏み出せます。

夢が叶わないと聞くと寂しいものだなあと思いますが、そうと知ることで、新たな道が見えることもあるのではないでしょうか。
悲観的になるのではなく、明るい一歩を踏み出したいものですね。

それでは、また(^^)

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