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法律に触れていなければ悪くない? 仏教で説かれる「廃悪修善」とは

 
手錠

2017/11/21

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

チューリップ企画スタッフのわかです。

法律に引っかからなければ許される?

先日何気なく見ていた『刑事ゆがみ』というドラマが、衝撃的な展開で、ちょっと考えさせられました。

2人の刑事がコンビを組み、毎回様々な事件の捜査にあたっていくストーリーなのですが、今回は青年実業家が腹部を刺されるという傷害事件がテーマでした。

その青年実業家は、企業の強引な買収を繰り返し、多くの人間から恨みを買っていました。

そんな中、ある望遠鏡会社の創業者である男が容疑者として浮上します。

男には、社長として会社を切り盛りしている一人息子がいました。

しかしその息子は、青年実業家からの投資話をある日突然白紙に戻されたことで多額の借金を抱え、自殺していたのです…。

自殺してしまった社長の娘はまだ小学生。

容疑者として名前の挙がっている祖父と2人暮らしをしています。

刑事たちが容疑者のアリバイを確かめるために話を聞きに行ったとき、女の子は青年実業家のことを次のように言いました。

「あの人は悪くないよ。だって、法律に引っかかるようなことは何もしてないもん

青年実業家自身も、法を犯すようなことはしていないと主張し、自分のしてきたことに対して何一つ悪びれた風もありません。

その後も捜査は続き、悲しい事実が明らかになるのですが、それはここでは触れないでおきます。

私がモヤモヤしたのは、青年実業家の振る舞いでした。

確かに法律上は問題ないのかもしれない。

でも、その言動で結果的に多くの人を傷つけている青年は、はたして正しいのだろうか?

現実にありそうな話だからこそ、いろいろと考えてしまう内容です。

仏教は廃悪修善の教え

仏教は、「悪いことをやめて、善いことに努めなさい」という「廃悪修善(はいあくしゅぜん)」の教えだと言われます。

日本人のほとんどは、このことを小さいころから教えられていますから、「そんなこと、当たり前じゃないか」と思われるかもしれません。

しかし、悪をやめて、善に努めると一口に言っても、いろいろな程度の差があります

今回のドラマのように、法律さえ守っていればそれでいいと考える人。

倫理道徳に照らして、正しいと思うことをするべきだと思っている人も多くいます。

法律は、社会の中で人々が快適に暮らせるように整備されていますが、すべてを取り締まることはできません。

法律では対処しきれないことも世の中にはたくさんあるでしょう。

一方、道徳や倫理は、法律では取り締まれないことにもメスを入れています。

空き缶をその辺に捨てても逮捕はされないかもしれませんが、決して正しいことではありませんので、周りの人から非難されます。

ただし、道徳倫理は人の良心に基づいて判断されるものなので、誰かが見ていなければ、咎められることもありません。

法律や道徳・倫理は、あくまでも人相手に行動していることです。

それは、私たちには、外に見えている行いしか判断できないからです。

しかし、仏教は、外には決して見えない心の行いも問題にしているのです

一番重要なのは心の行い

仏教では、私たちの行いは3通りに分けられると教えられています。

身体の行いである身業(しんごう)、口で話す口業(くごう)、そして、心で思うことを言われた意業(いごう)です。

身体や口の行いに注目している法律、道徳では、心のことはほとんど問題にされていません。

重要なのは口や身体の行いであって、心で何を思っていても外に出さなければそれでいいと皆思っています。

ところが、仏教では、むしろ心の行いこそ一番重要だと言われます。

口で話すことも、体を動かすことも、心で思ったことが元になって、行動に出ているものだからです。

心で思わなければ、口や体に表れることはありませんが、心で思っていれば、口や体には出すまいと思っても、何かのきっかけで出てしまうこともあるかもしれません。

実行犯よりも、それを命じた黒幕の方が罪が重くなるように、実際に表れた行動よりも、それを動かした心の方がより重いと教えるのが仏教です

仏教で教える幸せの秘訣

法律は肉眼、倫理道徳は虫メガネ、そして仏教は電子顕微鏡にたとえられます。

肉眼で見るのと、虫メガネで見るのと、電子顕微鏡で見るのとでは、見え方が大きく変わります。

たとえば手を肉眼で見ると、きれいな手だと見えますが、虫メガネで見ると、肉眼では見えなかった汚れなどが見えてきます。

更に電子顕微鏡で見たならば、普段は見えない雑菌などが手には無数についていることが分かるのです。

同じ行いを見るのでも、その精密さにおいて、仏教は群を抜いているということです

善因善果(ぜんいんぜんか) 悪因悪果(あくいんあっか) 自因自果(じいんじか)

良い行いは良い結果、悪い行いは悪い結果、自分のやった行いはすべて自分に結果が返ってくる。

この、「因果の道理」を基本とする仏教では、私たちの身に起こる運命の原因と結果に一切の例外を認めていないのです

たとえ法律には引っかからなくても、誰が見ていなくても、悪いことをすれば必ず不幸や災難がやってくるし、良いことに心がけていれば、必ず幸せに恵まれます

だから、悪いことはやめて良いことをしなさいと教えられました。

それこそ、幸せの秘訣だからです。

では、具体的に何が悪い行いで何が良い行いなのか、ということも詳細に教えられていますので、また別の機会に紹介したいと思います。

誰に対しても胸を張って生きていけるような、誠実な行いに心がけていきたいものです。

それでは、また(^^)

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この記事を書いたスタッフ
わか
チューリップ企画コールセンターのわかと申します。 静岡の温暖な気候の中で育ったせいか、のんびりと構えていることが多く、周囲からはよく「いつも安定しているね」と言われます。 日常の様々な出来事を物語化することが好きです。 学生時代、家ではほとんどの時間を机の前で過ごし、ノートに散文を書きためる日々を過ごしていました。 そんな小さい頃からの癖で、日常の出来事を無意識に観察していることがあり、見ているうちに周囲の人間関係も客観的に把握することができるようになりました。 今まで見てきた人間関係、自分自身の悩んだ経験や、日々の電話応対の中でのお客様の声などを通して、皆様の悩みに寄り添える記事を書いていきたいと思います!