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その寂しさはいったいどこから?アニメ映画 「この世界の片隅に」から考える孤独のワケ

 
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2017/05/26

皆さん、こんにちは!

チューリップ企画、スタッフのわかです。

アニメ映画「この世界の片隅に」が話題なのはなぜ?

年末、以前から気になっていたアニメ映画「この世界の片隅に」を見に行ってきました。

2011年の夏に日本テレビでドラマ版を放送したそうですが、こちらは同原作のアニメ映画版です。

最初は上映館も少なかったそうですが、内容が大きな反響を呼び、その感動は全国へと広がっていきました。

通常、映画というのは、公開初日が一番動員数が多く、時間が経つごとに徐々に減っていくもの。

しかし、この映画に関しては時間が経つほどに動員数が右肩上がりになっていったそうなのです。

どういう点が多くの人の心を掴んだのか。

私が映画を見た率直な感想は「見る人によって捉え方が変わるだろうな」ということでした。

非常に考えさせられるし、感動もするのですが、思わせぶりな描写がところどころにあって、解釈が見る人にゆだねられているように感じたのです。

それぞれの捉え方があるから、「他の人はどう感じたんだろう?」と気になり、語り合いたくなる。

語り合えば「そういう見方もあったんだ!」と新しい視点に気づき、もう一度見たくなる

それが自然と盛り上がりにつながっていったのかな、と思います。

十人十色人生のあれこれ

これから見られる方もあるかもしれないので、ネタバレにならないようこの場では深く語りませんが、私自身は映画を見て「人生を左右するものはいったいなんだろう」と深く考えさせられました。

作品の舞台は戦時中の広島

主人公すずは広島市の生まれながら、呉市の家に嫁いだために激しい戦火の中での生活を余儀なくされ、精神的に疲弊していきます。

一方広島市にいるすずの家族は爆撃とは無縁の生活で、戦時中ながら戦火におびえることもなく暮らしていましたが、最終的に原爆の被害を受けてしまいます。

人生は何が幸いするかわからない。

自分で相手を選んで結婚したけれど、主人は早くに亡くなってしまい、家族も皆失ってしまった人。

親や周りの人に言われるがままに結婚して、結果的に幸せな生活を送っている人。

いつ死んでも構わないと思っていながら生き残った人。

未来への希望を持ちながら死んでしまった人。

居場所のない寂しさ

同じ屋根の下で暮らして、寝食を共にしている家族であっても、日々起きる出来事への向き合い方は様々です。

すずは、呉市に嫁いでからずっと、自分の居場所がないと感じていました。

主人の周作はすずのことをとても大切に思っているし、両親も少し意地悪な義姉も、決して悪い人たちではなく、見ている私からすれば非常にいい家庭のように思えました。

すず自身も、生活すべてに不満を持っているわけではありません。

しかし、すずには「自らが望んでこの場所にいるわけではない」という思いが常にありました。

それが居場所がないという寂しさとなって表れていたのですが、その思いを言えるわけもなく、すずが感じている悩みや苦しみは周りの人にはわかってもらえません。

それで一層孤独になってしまいます。

人生が寂しい理由とは

お釈迦さまは人生は寂しいものだと教えられました。

それは、一人一人が自らの作った「業界(ごうかい)」に住んでいるからなのだそうです。

業(ごう)」とは「行い」のこと。

一挙手一投足すべての行いが全く同じ人などいないように、10人いれば10通りの人生があり、価値観があり、経験があります

そういう自らの行いによって作り出したフィルターを通して世界を見ているから、同じことをしていても、同じものを見ていても、感じることが全然違うのです。

一緒に映画を見に行っても、印象に残ったところや、感動するポイント、おもしろいと感じるかどうかは十人十色、本当に様々です。

不思議なものだなと思いますが、それはやはり自分が積み重ねてきた行いの結果なのですね。

時には感じ方や価値観が重なることがあっても、100パーセントをわかりあえるわけではない

だからこそ、肝心なところをわかってもらえない寂しさがどの人にもあるのだと言われます。

日本を代表する哲学者の一人、三木清は『人生論ノート』に

孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのでなく、大勢の人間の『 間 』にあるのである。

と言っています。

わかってほしいのにわかってもらえない、そんなもどかしさを感じたことのある人も多いのではないでしょうか。

寂しさを和らげるのはお互いの歩み寄り

ここまで読んで、「なんて悲しいことを言うのだろう」と感じる人もあるかもしれません。

しかし、相手のことを考え、近づこうとする努力は、わかりあえないと知るところから生まれるのです。

もし、「これくらいわかっているだろう」とお互いが思ってしまったら、伝える努力を怠り、結果すれ違ってしまうことも少なくありません。

自分の思いを伝え、歩み寄ろうと努力するのはわからないという前提に立てばこそです。

すずは、作中、自分の思いを言えるようになってから、幸せな顔をするようになりました。

意思を持ち、自分の思いを伝えることで、周りの人たちとの距離も縮まり、今いる場所が自分の居場所だと思えるようになってきたのですね。

どうせこの人は私の気持ちなんかわかってくれない」と壁を作れば、ますます寂しさはつのるでしょう。

わかってないなら知ってほしい」「わからないから知りたい」と自ら踏み出すその一歩こそ、人と人との間にある寂しさを和らげるきっかけになるのではないでしょうか。

もし、この映画を見に行く機会があれば、ぜひ周りの人と語り合ってみてください。

新しい世界が見えてくるかもしれませんよ(^^♪

それでは、また(^^)/

-メディア

この記事を書いたスタッフ
わか
チューリップ企画コールセンターのわかと申します。 静岡の温暖な気候の中で育ったせいか、のんびりと構えていることが多く、周囲からはよく「いつも安定しているね」と言われます。 日常の様々な出来事を物語化することが好きです。 学生時代、家ではほとんどの時間を机の前で過ごし、ノートに散文を書きためる日々を過ごしていました。 そんな小さい頃からの癖で、日常の出来事を無意識に観察していることがあり、見ているうちに周囲の人間関係も客観的に把握することができるようになりました。 今まで見てきた人間関係、自分自身の悩んだ経験や、日々の電話応対の中でのお客様の声などを通して、皆様の悩みに寄り添える記事を書いていきたいと思います!