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本当に恵まれている人とは? 仏教の醍醐味から知る最上級の人生

 

2020/01/16

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

チューリップ企画スタッフのわかです。

暑い日が続いていますね。

皆さんいかがお過ごしでしょうか。

先日、カルピスをもらって久しぶりに飲んだのですが、とても美味しく、乾いていた喉も一気にうるおいました。

もうすっかり夏の飲み物の定番といった感じですね。

カルピスの名前の由来とは?

ところで、この「カルピス」というネーミングの由来は仏教にあるそうです。

「カル」とは、牛乳に含まれる「カルシウム」からとったもの。

「ピス」はサンスクリット語の「サルピス」からきているのだそうですね。

仏教では、牛乳などを生成する過程における五段階の味を乳・酪・生酥・熟酥(サルピス)・醍醐(サルピルマンダ)と説かれているそうです。

この中で最上級の味は醍醐(サルピルマンダ)ですが、言いやすさを考慮し、次の位である「サルピス」からとって、「カルピス」と名付けられたのだとか。

意外なところに仏教の言葉が使われているものなのですね。

カルピス生みの親のポリシー

それというのも、カルピスの創業者である三島海雲さんは、元々寺の生まれだったそうで、人々の幸福につながる事業を成す、という仏教精神に基づくポリシーを生涯貫いていたといいます。

それで、自らが生みだした乳酸菌飲料の名前にも仏教用語を使われていたのですね。

大正12年に起こった関東大震災のとき、三島さんは自腹でトラックをチャーターし、飲み水を求める人たちへカルピスを配って回ったのだそうです。

行く先行く先で人々から歓迎され、大変喜ばれたのだとか。

日頃の愛顧に応えたいという思いで動かれたそうですが、自分自身も被災して大変な時です。

なかなかできないことだなあと思います。

仏教の精神は「自利利他」です。

他人の幸せのために動いたならば、自分もまた幸せに恵まれると教えられているのです。

その仏教精神を貫き、人が喜ぶ顔を見たいと常に動かれていた三島さんの周りには、お金や物だけでなく、人も自然と集まってきていました。

感染症予防や血圧低下などの健康効果もあり、今なお国民的人気を誇る商品を作り上げ、成功者となった後も決して驕ることなくポリシーを貫かれた三島さん。

人格者と呼ぶにふさわしい人だったのですね。

お金や財産にも恵まれ、自身も健康で長生きだったそうで、まさに自利利他を地で行くような人生を送っておられたようです。

幸せな人生にするために大事なポイント

三島さんのようにお金や財産にも恵まれ、体も健康となれば、言うことなしの人生のように思います。

しかし、実は、三島さんが人生の指針とされていた仏教には、幸せになるためにさらに大事なもう一つのポイントがあることが教えられているのです。

お釈迦さまは「世に三長者あり」と言われました

1つには「家の長者」です。

すなわち、お金や財産、ものに恵まれている人のことです。

そういったものに恵まれていれば、たいていのことは乗り越えることができますし、衣食住の心配もいりません。

だからこそ、皆この家の長者になろうと毎日あくせく働いています。

では、お金や財産が十分にあれば本当に幸せになれるでしょうか。

たとえお金やものに恵まれていても、健康を損ない、動けなくなってしまっては、満足に美味しいものも食べられないし、気軽に遊びに行くこともできないですよね。

お金やものに恵まれていることが幸せとなるのは、健康という土台があればこそなのだと分かります。

そこで、お釈迦さまは2つ目に「身の長者」を挙げられました。

これは、体が丈夫で、健康に恵まれている人のことです。

「元気があれば何でもできる」と言った人もありましたが、健康であれば、たとえ質素な食事であっても美味しく食べることができます。

どれだけでも働くことができますし、遊ぶこともできます。

普段健康なときは、あまり健康であることを重要視していませんが、いざ体調を崩すと、「やっぱり健康なのが何より大事なことだ」と心から知らされるのです。

では、健康に気を付けていれば、いつまでも達者でいられるでしょうか。

たとえしばらくの間健康でいられても、私たちは最後必ず死んでいかなければいけません。

お金も健康も、生きているという前提の上に成り立っているもの。

この死という問題を前にしたとき、家の長者であることや身の長者であることは、本当の幸せをもたらしてくれるものではないと気づきます

お釈迦さまが説かれた最上級の人生とは

では、本当に幸せな人とはどんな人なのでしょうか?

お釈迦さまは三長者の最後に「心の長者」を挙げられ、これが最も幸せな人だと教えられました。

心の長者とは、死がやってきても崩れることのない、本当の幸せを手に入れた人のことを言われています

仏教では、無明の闇(むみょうのやみ)という暗い心があり、それを破ることで本当の幸せになれると教えられているのです。

無明の闇とは、病気にかかっているようなものだとたとえられます。

病気にかかっている時は、どんな豪華な食事も美味しく食べられません。

しかし、病気が治ったなら、たとえ白米に漬物だけでも、美味しいのです。

暗い心があると、何を手に入れても心から喜べないのですが、この暗い心が晴れたなら、どんな状況でも心から喜ぶことができます。

お金や物に恵まれるのも、健康に恵まれるのも、もちろん素晴らしいことです。

しかし、中でも特に素晴らしいのは暗い心が晴れた心の長者だと教えられています。

仏教は、お金や物、健康であることを心から喜べる方法を示しているのですね

だからこそ、仏教のことを最上級の「醍醐味」にもたとえられるのでしょう。

ちなみに、「物事の深い味わい」のことを「醍醐味」と言いますが、これは仏教における「醍醐味」からきているのだそうです。

仏教の醍醐味を知ると、最上級の人生が味わえるのではないでしょうか。

こちらの記事では、「言語道断」という言葉から、仏教で教えられる幸せについて書いています。

言葉にできない言語道断な世界とは? 仏教で説かれる2つの幸福

それでは、また(^^)/

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