「叱る」と「怒る」の心はどう違う? 慈悲から知る周りの人からの思いやり
2020/01/16
いつもお読みいただきありがとうございます。
チューリップ企画スタッフのわかです。
「叱る」と「怒る」の違い
現在放送中のドラマ「母になる」の中で、育児放棄をしてしまった母親のエピソードが描かれていました。最初は育児も仕事も一生懸命取り組んでいたはずの彼女。
しかしある日、我が子が自転車の練習をしていて転んだ時、照れ隠しに笑ったことに、「何笑ってんの」と語気を荒げてしまいました。
それからすべてが崩れ始めたことを語る彼女に、児童養護施設職員の青年は諭すように言います。
「それは、叱ったんじゃなくて、怒ったんじゃないんですか」
叱ることと怒ることの違いをご存知でしょうか。
よく言われるのは、叱ることは相手のことを思う心から出てくる行為、
怒ることは自分のことしか考えていないから出る行為だということです。
慈悲と叱ることの関係
仏教では怒りの心を瞋恚(しんい)と言われ、108ある煩悩の中でも特に恐ろしい3つの内の1つに挙げられています。欲の心が妨げられるからこそ出てくる心で、自分の思い通りにならないことに腹を立てるのですね。
そこに相手への気遣いは全くありません。
対して、叱るということは、相手のことを思うからこそ出てくる行動です。
仏教に「慈悲」という言葉がありますが、「慈」とは「苦を抜いてやりたい」という心、「悲」とは「楽を与えてやりたい」という心のことだそうです。
「慈悲」といえば、多くの人が仏さまの穏やかな表情を思い浮かべるように、優しさを表した言葉だと思われていますが、優しさだけが慈悲ではありません。
私たちは時に人から厳しい言葉を言われることがあります。
小さい時は親に、学生になってからは先生や先輩に、社会に出てからは上司に。
誰でも厳しく言われるのは嫌なので、厳しい人を敬遠しがちです。
では、それらの人たちは、避けられてまでなぜ、私に厳しい言葉をかけるのでしょうか。
それは当然、私に幸せになってもらいたいと思ってくれているからです。
本当に相手のためになることって?
大学時代、不規則な生活をしていて、よく授業に遅刻する後輩がいました。ひどい時は寝坊して授業に出られないこともしばしば。
そんな調子なので、授業の内容もほとんど分かっていません。
それで、テストが近くなると、同じ授業を受けていたことのある私に「ノートを貸してください」と来るわけです。
自業自得だと言ってしまえばそれまでなのですが、本人も決して悪気があるわけではないので、ついついノートを貸してしまいます。
身近に困っている人がいたら、助けるのが人情。
私自身は、その人を助けようと思ってやっていたこと。
でも、振り返ると、あれは本当に相手のためになることだったのかなあ、と首をかしげてしまいます。
結局、後輩の不規則な生活や遅刻癖は、大学生の内には直らなかったようです。
「授業に出なくてもなんとかなる」という安心感から、直そうという気にならなかったのでしょう。
そういう意味では、私の行動が遅刻癖を助長してしまったのかもしれません。
ノートを貸すという行為は、大学生の間だけは、その人を助けることになります。
しかし、その先の人生においてその人の助けになるかというと、そうではありません。
社会人になっても遅刻を繰り返していたら、信用を失い、その人は困ることになるからです。
本当に相手のことを考えたなら、ちゃんと授業に出ることを勧めるべきだったのでしょう。
「よく見てもらいたい」という思いは横に置いて
誰だって、自分のことをよく見てもらいたいという欲があります。だから、相手の望むように優しく接すれば、その欲は満たされます。
多くの人が当たり障りのない接し方をする中、このまま注意されずにいたら将来困るだろうと思って、あえて厳しく言ってくれる。
それが「叱る」という行為です。
それこそ、本当に相手を思いやることだと分かります。
ドラマの中で描かれていたように、自分の欲を妨げられて腹を立て、厳しい言葉が出る場合もあるでしょう。
子育てに奮闘している方を見ていると、本当に大変そうで、怒りたくなる場面もきっとたくさんあるのではないかなあと思います。
しかし、怒りたい場面ではぐっとこらえて、優しくしたい時にはあえて厳しい言葉を投げかける。すべては子供の幸せのためです。
厳しさの中に思う有難さ
以前、20代のお子さんを持つ知人の女性がこのように言われていました。「時間もお金も労力も気力も全部子供に持っていかれるけど、それ以上にもらったものはたくさんあるよ。
自分だけでは見えなかった世界が見えるというか。子供を育ててよかったなあと思うね」
たくさんの迷惑をかけても、このように受け止めてくれる親の存在は偉大です。
将来困らないように、笑われることのないように、厳しく接してくれる人がいることを、一体どれほど感謝できているだろうかと反省します。
親だけでなく、自分の成長を願って叱咤激励をくださるすべての方に、感謝の思いを忘れないようにしたいものです。
それでは、また(^^)/
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この記事を書いたスタッフ
チューリップ企画コールセンターのわかと申します。
静岡の温暖な気候の中で育ったせいか、のんびりと構えていることが多く、周囲からはよく「いつも安定しているね」と言われます。
日常の様々な出来事を物語化することが好きです。
学生時代、家ではほとんどの時間を机の前で過ごし、ノートに散文を書きためる日々を過ごしていました。
そんな小さい頃からの癖で、日常の出来事を無意識に観察していることがあり、見ているうちに周囲の人間関係も客観的に把握することができるようになりました。
今まで見てきた人間関係、自分自身の悩んだ経験や、日々の電話応対の中でのお客様の声などを通して、皆様の悩みに寄り添える記事を書いていきたいと思います!