1枚のチラシが起こしたドラマ-人生を180度変える仏縁との出会い
2020/01/16
こんにちは!
チューリップ企画コールスタッフのみやこです。
人生は出会いの連続ですね。
「あの時・あの場所で、ああいう出会いがなかったら、今の私はいなかった」という忘れられない経験をされた方もあるでしょう。
どんな人・モノと出会うかが、一生を左右することもある―。
そう知らされるほどに、“ご縁”の大切さが身に染みます。
人生を180度好転させた仏縁とは
中でも、仏さまとのご縁は「仏縁(ぶつえん)」と言われます。大阪で会社を経営されている男性は、無類の博打好き・ギャンブル依存症だったそうです。よくないと知りつつも、賭博や借金を重ねていたころに仏縁を結ばれました。
過去の苦い経験から「宗教なんて……」と思っていたら、理路整然とした因果律の教えを聞き、「さすがお釈迦さまだ。これは聞かなきゃ損だ」と続けて仏教を学ばれるようになりました。
それまで苦労をかけたご両親にも優しく接するようになり、母の日にプレゼントを渡すと「仏教を聞き始めて、180度変わった。よかったね」と喜ばれたそうです(^^)
仏縁を結んで人生が好転した方は一人や二人ではありません。
幸せな道を踏み出すきっかけには十人十色のドラマがあります。
というわけで今回は、『とどろき』とのドラマチックな出会いを紹介していきます(^^)♪
私はこうして『とどろき』と出会いました
チューリップ企画では、各地の新聞に月刊誌『とどろき』の折込チラシを入れています。その折込チラシを少し変わった形で目にする方もあるようです。
仕事中、チラシの山から見つけた“宝”
毎日同じ事の繰り返しで、「もっと何か”生きている”と思える事がないのだろうか…」と思っていました。
仕事場でチラシを箱の形に折る作業があり、チラシの山からちょうど手にしたのが『とどろき』の広告でした。関心を持ち、すぐに購読しようと思いました。
丁寧に仏法の教えや解説が載っていますし、花などセンスの良い表紙もとても気に入り、仏教をもっと詳しく知りたくなりました。
(福井県 42歳・女性)
日頃の疑問と、『とどろき』チラシの内容がピターッと来たので、たくさんあるチラシの山から見つけ出せたのでしょうね。
「求めるものには与えられる」と聞きます。『とどろき』で、人生の宝をぜひ知っていただきたいと思います^^
プレゼントは仏縁でした
次は、チラシを見てお電話をくださった大阪の方です。第一声は、気持ちの高鳴りを抑えられない様に「まだ『とどろき』見本誌のプレゼントはやっていますか!?」というもの。その頃は、大阪での折り込みがしばらくなかったので「どうしてチラシを持っているのだろう?」と私も疑問に思いながら応対していたら、素敵なめぐり合わせで舞い込んだチラシだったのです(^^)/
いとこからの贈り物
県外のいとこから野菜が届いたんです。
何気なく野菜を包んでいるチラシを見ると「親鸞聖人」とお名前が書かれてあったのでビックリして!『とどろき』のチラシだけ取って、じっくり見ています。
私は先祖代々親鸞聖人さんです。他には目もくれません。
毎日、お寺で『正信偈』をあげていますし、お寺の人も家に来てもらいます。
仏教の本も持っていますが、説明が漢字ばかりで分かりにくいです。チラシに「これなら理解できる」と書いてあり、内容が詳しく知れるのかなと思いました。
親鸞聖人の勉強も色々しましたが、親鸞聖人のチラシは初めて見て「こんな本があったのか」とすごく驚きました!
もしかしたら、いとこが私の仏縁を念じて包んでくれたのかもしれないですね。
いずれにせよ、このチラシが私の元に来てくれて本当に嬉しいです。
(大阪府 77歳・女性)
この方は見本誌が届いたお礼のお電話もくださいました。
購読2カ月目で、早速変化が現われたそうです。
見本誌で頂いた号は、私の知りたい『正信偈』について特集が組まれていました。
その中で、親鸞聖人が大変尊敬された七高僧(しちこうそう)のことが書かれてあり、「『正信偈』にはこんな内容のことが書かれてあったんだな」と分かり、喜んでいます。
今日もお寺さんが『正信偈』をあげに来てくれました。その後ろで一緒に読んでいて意味が分かり、嬉しかったです。
一枚のチラシがきっかけとなり、『正信偈』の意味を知られたエピソードを語ってくださいました(^^)
皆さんのお宅の新聞にも『とどろき』チラシが折り込まれているかもしれませんね♪
仏縁の結び方も十人十色。
このスタッフブログも、仏縁を結ぶきっかけになれば嬉しいかぎりです。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
それではまた(^^)/
この記事を書いたスタッフ
チューリップ企画スタッフのみやこです。主に電話でのお客様サポートや『朗読版とどろき』の吹き込みを行っています。
信仰心の篤い浄土真宗の家に生まれたので、3歳の時にはすでにお仏壇の前で「正信偈」をあげており、小学1年生の時には諳(そら)んじるまでになり得意顔で親に披露していたものです。平成生まれにしては、ちょっと珍しい特技だったかも?(笑)
兄と弟に挟まれおてんばに遊んでいた私も、思春期になりある悩みが頭をもたげます。それは「私とは何者か?」「死が恐ろしい」…なかなかディープですよね。クラスメイトには悩みに共感してもらえなさそうで、周りより少しクールな中高生だったように思います。
その頃から「仏教に答えがあるのでは?」と仏教書を読んだりするように。なんやかんやあって、今では仏教月刊誌を出版する会社に就職!ブログでは「なんやかんや」で知らされた仏教の深さをお届けしたいと思います。よろしくお願いいたします。