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人生が始まるのはいつ? 素晴らしい人生は待つものではなく作るもの

 

2020/01/16

いつもお読みいただき、ありがとうございます。
チューリップ企画スタッフのわかです。

年を重ねると何が変わる?

毎年この時期は成人式の話題をよく聞きますね。
小さい頃、20歳になることには何か特別な意味があるように思っていました。
大人になることはすごいことのような気がして、とても楽しみにしていたのです。

しかし実際にその年齢になってみると、特別何かが変わった感じもなく、あまり実感がわきませんでした。
法律上は飲酒ができたり、各種契約を自分でできるようになったり、変わるところがいろいろありますが、自分自身の心は何も変わっていないんですよね。

思えば、小学校1年生の時に見た小学校6年生はとても頼もしいお兄さん、お姉さんで、自分も6年生になったらあのようになれるのだと楽しみにしていました。
ところが、6年生になった自分は思い描いていたような姿ではなく、なんとなくがっかりしたのを覚えています。

それは小学校だけのことではありません。
中学生になったら、高校生になったら、大学に進学したら、就職できたら、役職に就いたら。
年を重ねればそれだけ成長できて、大きく変われるはずだという思いがあったのです。
しかし、実際に年を重ねても思ったような変化が現れなかったのはなぜなのでしょうか。

本当の人生はどこに?

森鴎外の『青年』という小説には、次のように書かれているところがあります。

一体日本人は生きるということを知っているだろうか。
小学校の門を潜〔くぐ〕ってからというものは、一しょう懸命にこの学校時代を駈け抜けようとする。
その先きには生活があると思うのである。
学校というものを離れて職業にあり附くと、その職業を為〔な〕し遂げてしまおうとする。
その先きには生活があると思うのである。
そしてその先には生活はないのである。
現在は過去と未来との間に劃〔かく〕した一線である。
この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。

学生時代、一生懸命勉強に励むことで、その先の人生が開けるような気がしています。
学生時代はいわゆる準備期間だと、勉学に勤しむのです。
そして、いよいよ卒業して就職したら、そこからいよいよ人生の始まりだと期待するのですが、現実の日々は「こんなはずじゃなかった」の連続。

今はまだ平社員だから思うようにならないんだ、役職に就いたらきっとやりがいのある人生が待っているのだと思いなおし、一生懸命仕事に励みます。
そうして役職に就くと、上と下との板挟みで疲弊する日々。
こんな人生で終わっていくのは嫌だな、一生懸命働いて、定年を迎えたときが本当の人生の始まりだ。
定年後の日々に希望を見出し、仕事を乗り越えたとしても、その先には生活はないのである、と森鴎外は書いています。

現在と未来の関係

仏教には「因果倶時(いんがぐじ)」という言葉があります。
「原因と結果は必ず一致するもの」という意味で、次のようにも教えられています。

過去の因を知らんと欲すれば、現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲すれば、現在の因を見よ
(過去に自分がやってきたことを知りたければ、現在の自分に起きている結果を見ればおのずとわかる。また、未来自分がどうなっていくのかを知りたければ、現在の自分の行動を見ていけば明らかだ)

いつかきっと、自分にとって素晴らしい人生が訪れる。
そのように待っているだけの人は、素晴らしい未来は自分自身が作り出すものだということを忘れています。
現在と未来を切り離して考えていては、いつまでたっても、どれだけ年を重ねても、素晴らしい人生はやってこないということなのでしょう。

後悔のない人生を送るために大切なこと

未来とは、誰かが用意してくれていつか突然訪れるものではなく、現在の行いの積み重ねの上に作られるものです。
ですから、後悔のない人生、本当に充実した人生を送りたいと思うなら、自分自身が今動き出す必要があるということです。

では、後悔のない人生を送るには今どんなことをすればよいのでしょうか。

仏教には、人間に生まれてよかったと心から喜べる幸せになる方法が教えられています。
老若男女を問わず、すべての人がその幸せの身になることができると説かれているのです。
それには仏教を重ねて聞くことが肝要ですから、仏教を聞けるチャンスを逃さず、続けて学んでいくことが大切です。

本当の意味で素晴らしい人生となるように、今から一歩踏み出してみるのはいかがでしょうか。
それでは、また(^^)

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