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悩みを抱えて苦しんでいる人へ 「あきらかにみる人生」のすすめ

 

2020/01/16

いつもお読みいただきありがとうございます。

チューリップ企画スタッフのわかです。

平井堅さんの歌に込めた思い

私は警察ドラマが好きなので、今期のドラマ「小さな巨人」もチェックしていました。

ストーリーもよいのですが、それ以上に私が好きだったのは、ドラマのラストで毎回流れる平井堅さんが歌う主題歌です。

平井さんが、自ら命を絶ってしまった友人に向けて書いた曲だそうで、「諦めない人生こそ美しい」という思いを込めて作ったものだと語っていました。

ドラマの最後でこの曲が流れるたび、友人に対する「諦めてほしくなかった」という思いが感じられる、切ないメロディーと歌詞に心打たれます。

お釈迦さまは「人生は苦なり」と言われたそうですが、私たちの人生にはいろいろと辛いことが押し寄せます

夢に破れて、行き先を見失うことがあるかもしれない。

人に裏切られることもあるかもしれない。

大事なものを失うこともあるかもしれない。

「辛いことばかりの日々なら生きていても意味がない」と人生を諦めてしまう人もいるのでしょう

「諦める」の語源を知っていますか?

では、そもそも、人生を諦めるとは、どういうことなのでしょうか。

「諦める」という言葉が、見込みがないと思いきるとか、仕方がないと断念するという意味で使われていますから、前向きな内容でないことは確かです。

人生に対するマイナスな感情を表した言葉です。

諦める」の言葉自体、いつもネガティブな意味で使われていますよね。

しかし、元々の意味とは全く違うものであることはご存知でしょうか。

「諦める」の語源は仏教の「諦観(たいかん)」という言葉です

「諦」とは「あきらか」、「観」は「みる」ということで、「あきらかにみる」と読みます。

事実を事実としてありのままに見つめるということです

この「あきらかにみる」という言葉が「あきらめる」に変化したと言われていますが、その際に意味も大きく変わってしまったのですね。

事実を客観的に見る「諦観」

事実をありのままに見つめるというのは、ポジティブでもネガティブでもありません。

感情を抜きにして客観的に物事をとらえるということです

悩んでいる人に対して「もっとこうすればいいのに」と対策をアドバイスできるのは、第3者として客観的に見ることができるからです

その第3者の視点で、自分に起きたことを見てみるのです。それが「諦観」です。

私たちは何か悲しいことや辛いことがあると、感情の波にのまれてしまいます。

もう自分はダメなんだと、そこから動けなくなってしまうのです。

だからこそ、その苦しさから逃れるために断念することを選ぶのでしょう。

しかし、見切りをつけてしまったら本当に希望が持てないままになってしまいます。

私自身、何か悪いことがあると、マイナスに考えてしまい、苦しくなることがよくありました。

ある時、この諦観の話を聞いて、考え方を取り入れてみました。

事実として起こってしまったことを見る。

一旦そうやって受け止めると、次に、なぜ起こってしまったのかという原因に目が向きます

原因を変えれば結果が変わる。

一度起こったことは変えられなくても、これから起きることは必ず変えることができると分かってきました

これからどうすればいいかという答えも、少しずつ見えるようになってきたのです。

とはいえ、感情を抜きにして自分に起きたことを見るというのはなかなか難しいことです。

自分自身のことだからこそ、冷静にはとらえることができません。

そういう時には、実際に第3者の意見を聞くこともあります。

全く違う視点から、自分だけでは見えなかった答えを教えてもらうことができるからです

苦しみに向き合う時

起きたことの捉え方によって、その後の人生は大きく変わります。

あきらめれば、心の中に後悔が残ります

あきらかにみれば、また頑張ろうと立ち上がることができます

少し見方を変えるだけで、苦しみへ立ち向かっていけるようになるのです。

悲しむな 夜が明ければ 朝来たる」という歌があります。

楽しいことは続かないものですが、苦しいこともまた続かないものだと言われます。

私はこの歌から、辛いこと苦しいことがやってきても、それですべてが終わってしまうことはない、と力強いメッセージを受け取りました。

諦観を教えられている仏教では、良いとか悪いとかの感情ではなく、事実を事実としてありのままに説かれ、苦しみの人生で本当に幸せになれる道を示されています

辛い思いをして苦しんでいる人にこそ、仏教は説かれているのです

現代の日本には年間2万人以上の自殺者がいるそうです。

それだけ人生を諦めてしまう人が多いということです。大変悲しいことだと思います。

多くの人が、人生を諦めるのではなく、諦観して、本当に幸せになれる道を進んでいかれることを念じています

それでは、また。

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