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映画「君の名は。」と多生の縁

 

2018/11/02

これだけ話題になっていながら「君の名は。」をまだ見に行っていなかった私でしたが、先日ようやく見てきました(^^)
とても練られたストーリーで面白く、かつ、後味のよい映画だなと感じました。

映画の冒頭は主人公の一人、田舎に住む女子高生である三葉(みつは)の日常が描かれます。
スナックは2軒もあるのに本屋もカフェもない町。
田舎であるが故の人間関係のしがらみ、昔ながらのしきたりに縛られている家。
そんな環境に猛烈に嫌気がさした三葉は、誰に言うともなく叫びました。
来世は東京のイケメン男子に生まれたい!

 

私も学生の頃、自分の置かれている環境から逃げ出したい時期がありました。
それでよく友達と「生まれ変わったら○○になりたい」と言っていたものです。
一時期は「動物園のパンダに生まれたい」と思っていたのですが、今考えるとやっぱり見世物になるのは嫌です(^_^;)

「前前前世」主題歌の意味って?

日常の中で時々口にする「来世」や、主題歌のタイトルにある「前世」という言葉は元々仏教からきていると聞きました。
仏教では、生まれる前を「過去世」、生まれてから死ぬまでを「現在世」、死んだ後を「未来世」と言われ、これら「三世」が教えられているのだそうです。

この「過去世」のことを「前世」、「未来世」のことを「来世」と言っているんですね。

私は映画を見る前、主題歌のタイトルからして内容もそれに関係したストーリーなのかと思っていました。
ところが、「前世」や「来世」という言葉は劇中にあまり出てこなかったので、「なぜ主題歌にこういうタイトルを付けたんだろう?」と、エンドロールをぼんやりと眺めながら考えていました。

袖触れ合うだけでも…

私たちの生命の流れは過去からずーっと続いていて、大河に泡ができては消え、またできて消えて…と繰り返しているように、生き死にを繰り返してきたと仏教には説かれています。

これを「多生」と言われるそうです。

そういえば、「袖触れ合うも多生の縁」という言葉をよく聞きますね。
街の中で見知らぬ誰かとすれ違った時、お互いの服が少しだけ触れ合った。たったそれだけの事であっても、これだけ多くの人がいる中で、そんなに近くにその人が来たというのは自分とよほどの縁があったということ。
過去、自分とものすごい縁があった人でなければ、この世で袖が触れ合うほど近づくという結果は現れないのだそうです。

ケンカをしても特別な人

街中で袖が触れ合うだけでも自分とすごい縁がある、ということは、今家族や友人、同僚として一緒にいる人たちとはいったいどれほどの縁があるのでしょうか。
きっと何らかの形で何度も出会い、ずっと一緒に過ごしてきた人なんでしょうね。
この人といるとなんとなく落ち着く」とか、「とても初めて会ったようには思えない」と感じる人がいるとしたら、それはきっと過去世から深い縁のある人なんだと思います。

一緒にいると、時にはぶつかることもあり、ケンカすることもある。気にくわないことや、気まずい思いをすることもある。

でも、そうして長い間の縁があって今一緒にいるのだと思うと、なんだかすごく特別な感じがしてきませんか?

先日、電話で『とどろき』読者の方とお話しした際、「ほかにも電話応対している人は何人もいるんでしょ?そしたら私はあなたとご縁があったということだね」と声をかけてくださいました。

本当にそうだなあ、と思います。

1人1人が懐かしい人

君の名は。」の主人公2人は、過去からの長い長いつながりがあったからこそ、今の世で出会うことができた。
今まで出会った人、今一緒にいる人、これから出会う人。私たちに起きるあらゆる出会いにもまた、すべて意味がある。
主題歌の「前前前世」というタイトルには、そういうメッセージが込められていたのかもしれません。

一緒にいれば、文句を言いたくなることも、面倒だと感じることも、いろいろ出てくるもの。それでもなんだかんだとそばにいる人は、やっぱり自分と縁のある人なんだろうなあ。
そう考えると1人1人がすごく懐かしい人のような気がします。

人生の中では様々な出会いがあるけれど、一回一回の出会いをもっと大切にしていきたいですね。

そんなことを考えながら、家路についたある11月の夜でした。

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