今年は一味違ったお盆を過ごしませんか? 1年を「めでたい年」にする方法
2020/01/16
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
チューリップ企画スタッフのわかです。
盆と正月はどう過ごす?
お年玉ならぬ「お盆玉」というものがあるそうです。お盆の時期、遊びに来た孫に渡すお小遣いのことを言うのだとか。
そんな言葉があるとは全く知りませんでした。
「盆と正月が一緒に来たようだ」という言葉があります。
うれしいことや楽しいことが重なることをたとえられたもので、にぎやかで忙しいことを表現する時に使います。
1年のうち、大きな2大行事であることから、盆と正月はセットで表現されることが多いようにも思いますね。
まとまった休みが取れ、遠出ができるので、盆と正月を楽しみにしている人も多いかもしれません。
しかし、お盆には墓参りに行くことが定番だったように、元々は仏事に関係のある行事のはずです。
お盆とは一体何をする日なのでしょうか?
お盆の由来とは
お盆とは、正しくは「ウラボン」と言われます。ウラボンというのはサンスクリット語で、「倒懸(とうけん)」という意味があります。
倒懸はすなわち、「倒さ(さかさ)に懸かれる者」ということ。
仏教では、すべての人が倒さに懸かって苦しんでいると教えられています。
倒さに懸かっているということは、逆立ちしている状態です。
これは心が逆立ちしているということで、事実を事実とありのままに受止められず、まったく逆のことを信じ込んでいるということなのです。
一休さんのするどい忠告
では、私たちが受け止められないでいる事実とは、何でしょうか。とんちで有名な一休さんが詠んだという次の歌から考えてみたいと思います。
「元旦や 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」
元旦、正月といえば、1年の中でも特にめでたい日と言われます。
だからこそ、年が明けて開口一番には「あけましておめでとう」と口にしているのでしょう。
ところが一休さんは、元旦はめでたい日ではないぞ、と忠告しているのです。
1年経ったということは、それだけ大きく死に近づいたということだからです。
「逆立ちしている」と言われる理由
私たちは自分の命に限りがあることは知っています。しかし、それはずっと後のことで、まさか今日明日のことではないだろうと心のどこかで思っています。
それどころか、来月も大丈夫だろう、今年も元気にいられるだろう、と先々の予定までたてているのではないでしょうか。
しかし、実際はいつ人生の最期を迎えるか誰にも分かりません。
今年も地震や大雨などの災害に遭われ、亡くなっている方がたくさんおられます。
まさか今年が自分の人生最後の年になると誰が想像できたでしょうか。
1年の幕開けには「おめでとう」と言い合っていても、何かのことで一息切れたら、とても「めでたい年」とは言えなくなってしまいます。
事実は、やがて死んでいかなければいけないということ。
しかし、その事実が受け止められず、自分だけはずっと命が続くように錯覚して毎日を過ごしているのが私たちです。
そんな姿を、仏教では「逆立ちしている」と言われています。
本当に「めでたい年」にするお盆に
逆立ちしている私たちに、「事実はこうだよ」とありのままを示され、死を前にしても崩れない幸せになれる道を教えられたのが仏教です。仏教を聞いて、生きているうちにその幸せの身になることができたなら、本当の意味で「めでたい年」を迎えられるのです。
とはいえ、いつも忙しく過ごしている私たちが、心静かに人生を見つめる機会はそうそうありません。
1年に1度お盆のこの時期は、人生を見つめるとても良いチャンスです。
心静かに亡き人を想う時、自分の命にも限りがあるのだなあと、ふと思い出すこともあるのではないでしょうか。
それこそ、幸せになるための第一歩なのです。
お盆には、故人をご縁に、家族で仏法に耳を傾ける。
そうすると、いつもとは一味違った過ごし方ができるのではないでしょうか。
それでは、また(^^)/ -スタッフブログ, 仏事
この記事を書いたスタッフ
チューリップ企画コールセンターのわかと申します。
静岡の温暖な気候の中で育ったせいか、のんびりと構えていることが多く、周囲からはよく「いつも安定しているね」と言われます。
日常の様々な出来事を物語化することが好きです。
学生時代、家ではほとんどの時間を机の前で過ごし、ノートに散文を書きためる日々を過ごしていました。
そんな小さい頃からの癖で、日常の出来事を無意識に観察していることがあり、見ているうちに周囲の人間関係も客観的に把握することができるようになりました。
今まで見てきた人間関係、自分自身の悩んだ経験や、日々の電話応対の中でのお客様の声などを通して、皆様の悩みに寄り添える記事を書いていきたいと思います!