スタッフブログ 親鸞聖人

何をすることが恩返し? 親鸞聖人の恩徳讃と伝わる教え

 

2020/01/16

いつもお読みいただき、ありがとうございます。
チューリップ企画スタッフのわかです。

加藤一二三さんの引退、羽生善治さんの史上初永世7冠達成、そして国民栄誉賞の授与。藤井聡太さんの快進撃など、昨年から何かと話題の将棋界。
今まで将棋にはあまり詳しくなかったけれど、テレビでよく見るので関心を持つようになったという人も多いのではないでしょうか。

連日注目の的となっている藤井六段は、先日、師匠である杉本七段との対局に勝利しました。
将棋の世界では、師匠との対局に勝利することを「恩返し」と言うのだそうです
師匠にしてみたら弟子に負けるのは悔しいのではないかなあと思ってしまいますが、それがなぜ恩返しとなるのでしょうか。

「恩」というのはどういう心?

「恩」という字は「原因を知る心」と書きます
自分が何か結果を受けた時、なぜこういう結果を受けたのだろうと考えると、いろいろな人のおかげであることが分かります。

仏教では、そうして恩を知り、恩を感じ、恩に報いる気持ちが強い人ほど、幸せな人だと教えられています
恩を強く感じる人であればあるほど、恩を受けたらその感謝を形にしたいと思うものです。
では、どうすれば相手から受けた恩に報いることができるのでしょうか。

それには、相手が一番喜ぶことをするのが大切だと言われます。
相手の立場に立ってみた時、どういう行動が喜ばれるのか。
将棋の場合は、自分が目をかけている弟子が、大きく成長して、自分を越える存在になってくれることが師匠にとっての何よりの喜びだということなのでしょうね。

弟子をとらない理由

将棋の世界では、弟子入りし、師匠から推薦してもらえなければ養成所に入ることができません。
プロ棋士になるためには、まず師匠の存在が不可欠だということなのですね。
強くて有名な棋士であればあるほど、弟子になりたいと希望する人はたくさんいそうなものですが、今までに一人の弟子もとったことがない棋士もいます。

その一人、久保利明九段は弟子をとらない理由を次のように述べているそうです。

自分が弟子を持つ時は、先生が自分にしてくれたのと同じくらいのことを弟子にしてやりたい

今はそれが出来る自信がないので弟子は持たない」

久保九段は、小学校に入るくらいの年齢で、淡路仁茂九段の将棋教室を訪れて、基礎の基礎から教わり、プロになることができました。
師匠と弟子と言っても、将棋では、必ずしも師匠が弟子を指導しなければならないという決まりはないそうです。
しかし、師匠の淡路九段は、何千局指したか分からないほど手厚く指導をし、弟子の久保九段の対局に一喜一憂するほど、心をかけていると言います。

そうした師匠の心遣いあればこそ、プロの棋士として活躍することができている。
久保九段は淡路九段に並々ならぬ恩を感じているのでしょうね。
師匠に恩返しをすることはもちろん、その受けた恩を次につなげたいという「恩送り」の気持ちも持たれていることに感動します。
受けた恩が大きいほど、その恩に報いたいという気持ちは強くなりますよね

親鸞聖人の「恩徳讃」の心

浄土真宗親鸞聖人は、29歳の時、絶対の幸福の身に救いとられています。
そのご恩をうたわれているのが、「恩徳讃」です。

如来大悲の恩徳(にょらいだいひのおんどく)は、
身を粉にしても報ずべし(ほうずべし)
師主知識の恩徳(ししゅちしきのおんどく)も
骨を砕きても謝すべし(しゃすべし)

浄土真宗の盛んな地域で親しまれており、耳にしたことのあるという方も多いかもしれません。

如来とは、阿弥陀如来のことです。
阿弥陀如来がどんな仏さまかについては、前回の記事をご参照ください。

阿弥陀仏とお釈迦さまの関係をご存知ですか? 仏教を学ぶときに大切なこと

阿弥陀如来は、「すべての人を必ず絶対の幸福にしてみせる」とお約束されています
阿弥陀如来がおられなければ、決して絶対の幸福の身に救われることはなかったと、「身を粉にしても」とうたわれているのです。

師主知識とは、阿弥陀如来のお約束を正しく伝えてくだされた仏教の先生のことです。
たとえ阿弥陀如来がお約束されていても、そのことを知ることができなければ、絶対の幸福になることはできません
ですから、そのお約束を正しく伝えてくださった先生方にも大変なご恩があることを「骨を砕きても」とうたわれています。

教えを伝えることが報恩

返しても返しきれない大変大きなご恩を受けたと仰る親鸞聖人は、ご自身もまた阿弥陀如来のお約束一つ伝えることで報恩の道を進まれました。
それこそが、阿弥陀如来、そして師主知識の最も喜ばれることだからです

現代では、仏教は葬式や法事の時だけ用事のあるものと思っている方も多いようです。
しかし、実際には、すべての人に向けて説かれた、元気な時にこそ大切な教えなのです
親鸞聖人が波乱万丈の人生を歩まれながら伝えられた教えは、今なお私たちのところに届いています。
教えを正しく聞き、本当の幸せの身になってくれよとの思いで説かれてきた教えです。

私たちは、時代を超えて伝えられてきたその教えを、一人でも多くの方に知っていただきたいと考えています。
『とどろき』などを通して、「こういう教えが仏教だったのか」と知られる方があれば、とてもうれしく思います。

それでは、また(^^)

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