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老若男女みんなが知りたいこととは? 仏教に説かれた幸せの答え

 

2020/01/16

いつもお読みいただき、ありがとうございます。
チューリップ企画スタッフのわかです。

仏教に関心を持ったきっかけは?

『とどろき』を読まれている方に、仏教に関心を持たれたきっかけをお聞きすると、次のようなことがあるようです。

・祖父母や父母が熱心に寺参りしていたのを見ていて関心が出てきた
・寺の役に就いたので、勉強しなければと思った
・墓を引き継いだが、どうすればいいかよく分からない
・身内や身近な人が亡くなったことで人生を考えるようになった

人それぞれ、様々なきっかけがあって関心を持たれるのですね。
その中でもよく聞くのが、「自分もそういう年齢になったから」という声です。
不思議なもので、日本人は60代位になってくると、なんとなく仏教に関心が出てくるのだそうです。
仏教といえばある程度年齢を重ねてから聞くもので、若いうちは関係ないものだと多くの人が思っているからかもしれませんね。

老若男女みんなが知りたいこと

仏教がどんな教えか知らなかったころは、私自身も仏教には全く関心がありませんでした。
仏教といえば、葬式や法事があった時に少しかかわりを持つぐらいで、日常生活には何ら関係がないと思っていたのです。
ところが、それは完全な誤解であったことが後になって分かりました。
仏教に教えられているのは、どうしたら幸せになれるかの答えだからです。

私たちは老若男女一人の例外もなく幸せを求めています。
しかし、求める幸せの形は人それぞれでしょう。
お金がたくさんあれば幸せ、人間関係に恵まれたら幸せ、仕事で認められたら幸せ、美味しいものが食べられたら幸せ、平穏な日々が送れれば幸せ。
様々なものを求めて日々を暮らしています。

ところが、どれだけのものを求めても、幸せになれていないのが私たちの現状です。
幸せになりたい私たちが、幸せになれていないのは一体なぜなのでしょうか?

私たちが求めているもの

仏教では、日々私たちの求めている幸福を相対の幸福と言われます。
これは壊れやすいガラスにもたとえられ、続かないという特徴があります。

仏教には諸行無常(しょぎょうむじょう)が教えられています。
諸行とはすべてのもの、無常とは常が無く続かないこと。
お金にしても、良好な人間関係にしても、仕事での評価にしても、ずっと続けば嬉しいのですが、現実にはそうはいきません。
ある日突然それらを失うことは、往々にしてありうることでしょう。

たとえそれらが手元に残ったとしても、自分自身の幸せだなあと思う心は続きません。
手に入った時は確かに嬉しかったのに、時間が経つにつれそれらがあることが当たり前になり、幸せな気持ちは薄れていきます。
「コロコロ変わるから」ココロなのだとも言われますが、人間の心もまた無常であることが知らされます。

私たちは、幸せを掴んでは壊れ、また新しいものを掴んでは壊れ、ということをずっと繰り返してきているのでしょう。
そして、これからも繰り返していくのではないでしょうか。
それでは、いつまでも幸せになることはできません。
では、私たちが幸せになる方法はあるのでしょうか?

仏教に説かれた幸せの答え

仏教には、相対の幸福に対して、決して変わらないもう一つの幸せが教えられています。
これを絶対の幸福といいます。
また、親鸞聖人はこのことを「金剛心」とも教えられています。
金剛とは硬い、金剛石とは最も硬い石であるダイヤのこと。ダイヤは硬く、決して形が変わりませんから、崩れたり壊れたりすることのない幸せのことをこのように言われるのです。

すべての人が絶対の幸福になることができる。
絶対の幸福とはどんな幸せなのか、どうしたらなれるのか、仏教に教えられているから重ねて聞きなさいとお釈迦さまは説かれています。
それは年を重ねてから聞けばいいというものではなく、若い人にも大変関係のある重要なことなのです。

『とどろき』を続けて読まれている方で、「もっと早く仏教を学んでいればよかった」と仰る方も多いです。
若い時に仏教を聞くことができれば、それだけ早く絶対の幸福に向かって進むことができるからでしょう。
しかし、まだまだ遅くはありません。
どんなきっかけであれ、仏教には幸せの答えが教えられていると知ることができたなら、それは大変意味のあることなのではないでしょうか。

誰しも、今この瞬間が一番若い時です。
この時に得たチャンスを決して逃すことのないように、1日1日を大事にしていきたいと思います。

それでは、また(^^)

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