一念発起するとどう変わる? 幸せな人生に変わる一念の瞬間とは
2020/01/16
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
チューリップ企画スタッフのわかです。
「一念発起」どう使っていますか?
女優の高畑充希さんが、インスタグラムで、身体を鍛えるという宣言をしていました。「そろそろアラサーに片脚かかってきたので、一念発起してカッチョイイ強い身体を目指してみようと思う」
「一念発起」といえば、あることを成し遂げようと決心する時に使われる言葉です。
「一念発起して、資格の勉強を始めた」「一念発起して起業」など、何か強い決心を表す言葉として使われているのをよく見かけます。
この一念発起、実は仏教に語源があります。
とても深い意味のある言葉なので、今回は仏教に説かれる一念発起の意味について書いていこうと思います。
仏教に説かれる一念発起
浄土真宗を全国に弘めた中興の祖として知られる蓮如上人は、『御文章』に次のように書かれています。その位を「一念発起・入正定之聚(にゅうしょうじょうしじゅ)」とも釈し
「一念発起」は、一般的には「いちねんほっき」と読みますが、仏教では「いちねんぽっき」と読みます。
「一念」とは、「時剋の極促(じこくのごくそく)」とも言われ、何億分の1秒よりも短い、時間の極まりを表されています。
「発」も「起」もおきるという意味ですから、あっという間もなく、大変わりすることを言われているのが一念発起ということなのです。
では、一念で、何がどのように大変わりするのでしょうか?
人生は荒波の絶えない「難度海」
お釈迦さまは、「人生は苦なり」と言われました。また、浄土真宗の親鸞聖人は、私たちの人生を「難度海(なんどかい)」と、荒波の絶えない海にたとえられています。
荒波とは、私たちにやってくる苦難や困難、災難のことです。
職場の人間関係で悩んだ末、別のところに移っても、移った先では仕事の内容が合わずに苦労する。
家庭では、親子、夫婦、嫁姑の関係がうまくいかずに苦しむ。
お金のこと、老後のこと、健康のこと。
1つ解決したらまた次の問題、それが解決したらまた次と、キリがありません。
そうして次々やってくる荒波に溺れ、苦しんでいるのが私たちだと教えられています。
私たちの人生が大きく変わるとき
その私たちの難度海の人生を、明るく楽しく渡す大船があるのだよ、と言われた親鸞聖人のお言葉があります。「難思の弘誓は、難度海を度する大船」
(教行信証)
「難思の弘誓(なんしのぐぜい)」とは、お釈迦さまの先生である阿弥陀仏がなされたお約束のことです。
阿弥陀仏は、難度海で溺れて苦しんでいる私たちを何とかして助けたいと思われて、「すべての人を必ず絶対の幸福に救う」というお約束をされました。
その阿弥陀仏のなされたお約束を、海を渡す大船にたとえられているのです。
ひとたび大船に乗ったなら、どれだけの荒波が来ても溺れて苦しむということはありません。
そのように、阿弥陀仏のお約束通り救われたなら、どんな困難苦難がやってきても、決して崩れない幸せ、絶対の幸福の身になることができると教えられています。
私たちの苦しみの人生が、幸せな人生にガラリと転じ変わるのです。
一念発起の深い意味
苦しみの人生が幸せな人生に転じるということは、大変な変わりようですから、時間がかかるのだろうと思う人もあるかもしれません。そんな人に、
時間はかからない、一念で大船に乗せていただけるのだよ。
あっという間もなく、苦しみの人生が幸せな人生に大変わりするのだよ。
と言われているのが一念発起です。
私たちが普段「一念発起」して、ジムに通ったり、勉強を始めたりするのは、今までの生活から何かを変えたいと思うからでしょう。
より幸せな人生にしようと考えてのことだと思います。
それも素晴らしいことですが、仏教で説かれる一念発起は、決して崩れない幸せの身に大きく変わることを表していますから、大変な意味があるのです。
仏教にはこのこと1つが説かれているので、ぜひ続けて聞いて頂きたいと思います。
それでは、また(^^) -スタッフブログ, 暮らしの中で
この記事を書いたスタッフ
チューリップ企画コールセンターのわかと申します。
静岡の温暖な気候の中で育ったせいか、のんびりと構えていることが多く、周囲からはよく「いつも安定しているね」と言われます。
日常の様々な出来事を物語化することが好きです。
学生時代、家ではほとんどの時間を机の前で過ごし、ノートに散文を書きためる日々を過ごしていました。
そんな小さい頃からの癖で、日常の出来事を無意識に観察していることがあり、見ているうちに周囲の人間関係も客観的に把握することができるようになりました。
今まで見てきた人間関係、自分自身の悩んだ経験や、日々の電話応対の中でのお客様の声などを通して、皆様の悩みに寄り添える記事を書いていきたいと思います!