スタッフブログ 暮らしの中で

明るく穏やかな日々のために 知っておきたい悩みが尽きないその原因

 

2020/01/16

こんにちは!

チューリップ企画スタッフのわかです。

あ、ちょうどいいところに来たね

こう言われた時、ちょっと身構えてしまうのは私だけでしょうか。

お菓子や食べ物が1つ余っていて、そこにふらっと現れた人に対して言われることもありますが、多くの場合、人手がなくて困っているところへやってきた人間に対して言われる言葉だからです。

この言葉の後には、「ちょっと手伝ってくれないかな?」というお決まりの文句が続くことでしょう。

“面倒だなあ”と、頼みごとを引き受けるのを躊躇してしまう気持ちもありますが、困っている人の助けとなって喜ぶ顔が見られるなら、こちらも役に立てたと嬉しくなります。

人助けすると思えば、多少大変なことでも引き受ける甲斐はあるというものです

「渡りに船」ってどこから来た言葉?

こういう場合、困っている人にとっては「渡りに船」の状況です。

「渡りに船」とは、困っているときに、ちょうどよく助けになる人や環境に恵まれることを言われたことわざです。

助けを求めているときにちょうどよく助けが来ると、嬉しさも倍増しますよね。

実は、この「渡りに船」は『法華経』というお経に「子の母を得るが如く、渡りに船を得るが如く、病に医者を得るが如く、暗闇に灯りを得るが如く」と説かれているのだそうです。

これらの表現を見ると、まさに待ち望んでいたものがきたという感じを受けます。

仏教の目的は「抜苦与楽(ばっくよらく)」

仏教の目的は「抜苦与楽」と言われます。

私たちの苦しみを抜いて、楽しみを与えるということですね

誰しも苦しむのは嫌だし、幸せになりたいと願っていますから、すべての人が苦しみ悩みを解決する方法を求めているようです。

仏教では、人生において私たちが感じる苦しみを「四苦八苦(しくはっく)」と教えられています。

生苦(しょうく)老苦(ろうく)病苦(びょうく)死苦(しく)の四つの苦しみに、愛別離苦(あいべつりく)怨憎会苦(おんぞうえく)求不得苦(ぐふとっく)五陰盛苦(ごおんじょうく)を加えて全部で八つの苦しみです。

お釈迦さまは「人生は苦なり」と言われ、人生には様々な苦しみがやってくる、と説かれています。

年を取っていくことも、病気になることも、死ぬことももちろん大変な苦しみです。

しかし、生きることもまた大変なことだと言われています。

大切な人や物と別れなければならない苦しみが愛別離苦、嫌いな人や物と会わなければいけない怨憎会苦、求めているものが得られない求不得苦、肉体が盛んであるがゆえに苦しむという五陰盛苦。

(愛別離苦については「「愛」は苦しみを表すもの? 幸せと悲しみの切り離せない関係」の記事で解説しています)

私たちは、日頃感じているこれらの苦しみをどうにかして解決しようと奮闘しています。

人間関係の解決、心の安らぎ、仕事のこと、日常のこと。

日常でやってくる様々な悩みを乗り越えられれば幸せになれると思っています

悩みが尽きない原因とは?

しかし、どれだけ解決をしても、次から次に新たな悩みがやってくるのです

仕事がうまくいかない時は、仕事のことで頭がいっぱいになり、解決に奔走。

仕事の問題が終わったと思ったら、次は家族のことで頭を悩ませる。

家族のことも解決したら、ほっとした反動で、今度は体調を崩してしまったり。

次から次に悩みは尽きません。

私たちが解決しようとしている苦しみは、木にたとえれば枝葉のようなものと言われます。

枝葉なので、根っこがある限りは切っても切っても別のところから生えてきます。

本当に苦しみをどうにかしようと思ったら、根本を断ち切らなければいけませんね

明るく心穏やかに過ごすために

仏教で抜くと言われている苦しみは、枝葉ではなく、この根本の苦しみのことです

根本の苦しみを抜いて、私たちを本当の幸せに助けると教えられているのが仏教です。

苦しみを解決して幸せになりたいと願っている私たちに、本当の解決の道を示されています。

たとえ一時的だとしても、助けがあれば嬉しいもの。

まして、一時的ではなく、根本的に苦しみを解決できたなら、どれほどの喜びでしょうか。比べようもありません。

仏教には、苦しみの枝葉の解決方法も教えられていますが、根本の苦しみの解決方法も教えられています。

仏教を知ることは、まさに私たちにとって「渡りに船」なのですね

ぜひその教えを聞いてもらいたいなあと思うばかりです。

苦しみ悩む人が、仏教の教えを学ばれることで、心穏やかで明るい日々を過ごされる一助となれば嬉しく思います。

それでは、また(^^)/

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