親鸞聖人

嬉しいときも悲しいときも 心に寄り添う『とどろき』

 

2020/01/16

皆さん、こんにちは!
チューリップ企画コールスタッフのわかです。

本社のある富山はすっかり寒くなりましたが、いかがお過ごしでしょうか。

生活習慣病とは?

先日、知り合いのお医者さんから「生活習慣病」について教えてもらいました。

高血圧・脂質異常症・糖尿病・肥満が主なものだそうですが、これらは別名「サイレントキラー」と呼ばれています。

自覚症状がほとんどないまま、体の中で症状が静かに進行し、そのまま病気に気づかずに、また気づいても「自分は大丈夫」と治療をせずに放っておくと、

ある日突然、心筋梗塞脳梗塞などが起こり、取り返しのつかないことになりかねないからだそうです。

普段から食生活に気を付けたり体を動かすように心がけたり質のいい睡眠をとるようにすれば予防につながるとのこと。

特別なことは何もなく、ただ当たり前のことを当たり前にすればいいだけなのですが、生活習慣が崩れている人が多いから、これだけ生活習慣病が問題になっているのだなと知らされます。

かく言う私も社会人になってからは車での移動ばかりで歩くことすらできていません(^_^;)

まずは近所のスーパーに歩いて行くことから始めてみようと思います。

看病中の心の支えとなった『とどろき』

人間は「病の器」と言われ、病気にかかる種はたくさん持っているそうです。

「病」という字は「やまいだれ」に「丙」と書きますが、どんな病気であっても、病で苦しむその人にとっては「自分がかかっている病が一番苦しい」と思うので、「甲乙つけがたい」から「丙」の字を入れていると聞きました。

風邪をひいてさえも苦しいのです。それが重篤な病気ともなれば尚更だろうと思います。

そして、本人はもちろん苦しいですが、それを支える家族もまた辛い気持ちを抱えながら看病にあたります。

大切な人が倒れたとき、心の整理ができずに戸惑う方が多いようで、苦しい心中を綴ったお手紙もたくさんいただきます。

その中で、『とどろき』を読んで心が落ち着いたと言ってくださる方もあります。滋賀県の女性からは次のようなお電話を頂きました。

私、主人と一緒に16年闘病していました。

主人は、90で昨年の6月に肝ガンで亡くなりました。

透析だけだったら良かったのですが、ガンには勝てないですね。

闘っている間、私は『とどろき』を読んで救われていたと思います

心安らかにいられたのも『とどろき』のおかげです。

大切なご主人をガンで亡くされたとのこと。

16年もの間ずっと寄り添ってこられただけに、その悲しみ、寂しさはどれほどだったでしょうか。

辛くて仕方がなかった時もあったことと思いますが、『とどろき』で心安らかにいられたとのお言葉、大変有難く感じました。

また、昨年3月に『正信偈』の意味が知りたいとお電話をくださった滋賀県の80代の男性はこのように言われていました。

以前、『正信偈』の肝心なところは『帰命無量寿如来』だとききました。

おそがけながら意味を知ることができたら幸いです。

実は昨年暮れに家内を亡くしました。

老老介護で4年やってきましたが、私は家内が亡くなって日々の目標を失いました。

今も心が落ち着かないのです。この『とどろき』が心の支えになるんじゃないかと思っています

奥さんを4年もの間、献身的に介護されたそうですが、想いをかけた分だけ、心の穴が大きくなってしまったそうです。

この電話を受けた時には心が落ち着かないと寂しげに言われていました。

しかしその後、『とどろき』を読み始められてからお電話をしたとき、次のように話してくださいました。

昨年家内を亡くして妻を支えるという目標を失いました。

今は生活に追われていますが、夜静かな中で『とどろき』を読ませていただいています。

心が落ち着くし、毎日あげている正信偈』の内容も少しずつわかってきて、読みながらこういう内容なのかと思ったりします。

また続けて勉強させていただきますね。

『正信偈』の意味が知りたい」「心の支えが欲しい」と言われて読み始められた『とどろき』で、着実に心の持ちようが変わってきたようです。

お力になることができたようで、大変嬉しく思いました(*^_^*)

苦しくとも生きねばならない理由を教えられた仏教

お釈迦さまは「人生は苦なり」と、すべての人の姿を教えられました。

私たちには次から次へと「生」「老」「病」「死」の苦しみがついてまわります。

これを「四苦」といい、すべての人に共通する苦しみです。

親鸞聖人はそんな人生を荒波の絶えない海にたとえて「難度の海」と言われ、その「難度の海」を明るく楽しく極楽浄土まで渡す大船があることを明らかにされました。

仏教には、「どんなに辛いことがあっても生き抜かなければならないのは何のためなのか」という生きる意味がはっきりと教えられていますので、『とどろき』にも生きる力に溢れた皆さんの「声」がたくさん載っています。

一人いて喜ばは二人と思うべし。二人いて喜ばは三人と思うべし。その一人は親鸞なり。

親鸞聖人はご遺言でこのように言われました。

嬉しいときも悲しいときも共に喜び、悲しんでくださるのが親鸞聖人です。

親鸞聖人の教えをお届けしている『とどろき』も、皆様の心に寄り添う存在となれたなら幸いです。

それでは、また(^^)/

-親鸞聖人

この記事を書いたスタッフ