「いつかやろう」の落とし穴にはまっていませんか? やるべきことが億劫になってしまう最大の理由
2020/01/16
皆さん、こんにちは。
チューリップ企画スタッフのわかです。
「ナユタとフカシギ」ってなんだろう?
私はスキマスイッチという音楽ユニットの曲が好きなのですが、以前CDを探していた時に、「ナユタとフカシギ」というタイトルのアルバムを見つけました。おとぎ話の登場人物のようなタイトルで、以来、その言葉は私の頭の片隅にずっと残っていました。
この「ナユタ」「フカシギ」という言葉は、実は仏教で説かれる数の単位のことだったと知ったのはもっと後になってからです。
小学校の時、「兆」以上の数の単位を全部覚えて自慢げに言っているクラスメイトがいましたが、呪文みたいだなと思うくらいでまったく気に留めていませんでした。
一番大きな数は「無量大数」。その下にあるのが「不可思議(ふかしぎ)」「那由他(なゆた)」なのです。
当時、スキマスイッチの2人はしばらくユニットとしての活動を休んで個々での活動に力を入れていました。
そして、お互いに得たものを再結集して活動再開となった時に出されたのが、この「ナユタとフカシギ」のアルバムだったのです。
スキマスイッチとしての活動を再開する際、2人でたくさんの話し合いを重ねたということから、「たくさんの数」を意味する言葉をアルバムのタイトルに持ってきたのですね。
「億劫」の語源は時間の単位
このように、数の単位の多くが仏教からきている言葉なのだそうです。仏教では、数だけでなく、時間の概念も大変大きいです。
時間の概念の1つに「劫(こう)」という単位がありますが、1劫は4億3千2百万年とも言われ、それだけで気の遠くなるような時間の長さです。
「億劫(おっくう)」は私たちが日常的に使っている言葉です。
実はこれも時間の単位で、「劫」の億倍ということです。元々は「億劫(おくこう)」と読んでいました。
多くの人が「億劫」が時間を表した言葉だとは思わずに使っているでしょう。
なぜ、もともとは時間の長さを表していた言葉が、「面倒だ」という意味で使われるようになったのでしょうか?
夏休みの宿題を最後まで残してしまうのはなぜ?
私たちは時間がたくさんあると、「今やらなくてもいいか」という思いになってしまいます。夏休みの宿題などはいい例で、8月31日の悲劇は今なお後を絶ちません。
先生たちは、「夏休みは時間があるんだから、その間にいくらでもできるでしょ」ということで宿題をたくさん用意します。
しかし、生徒たちからすると「時間がたくさんあるから宿題は今やらなくてもいいや」という気分になってしまうのですね。
目の前にたくさん楽しいことが待っているからです。
大人になってからも、「ダイエットを始めたい」「資格の勉強をしなきゃと思っている」という声を聞くことがありますが、願望はあっても、なかなか実行に移せない人も多いようです。
これから先、いくらでも始めるチャンスはあるはずだと思っているからでしょう。
面倒で、腰が重くなるというのは、「時間はあるし、今やらなくてもいい」という思いが根っこにあるからかもしれません。
人生は長いもの?
「億劫」は、想像をはるかに超える時間の長さだということから、容易なことではなく、やりきれない。だから面倒だ、という意味で使われるようになったのですね。億劫まで行かなくても、人生もそれなりに長いように思います。
長い人生、時間はまだまだあるんだから、焦らずそのうちやればいいんだと思うのも無理はありません。
しかし、まだまだ時間はあるといっても過ぎてみればあっという間です。
年を重ねれば重ねるだけ時間の感じ方は早くなるのだそうです。
小学校の頃は20分の休み時間でも校庭に飛び出して遊びまわっていましたが、今となっては20分では外に出られないなあと思います。
1日の時間の感じ方、1週間の時間の感じ方、1か月の時間の感じ方、1年の時間の感じ方が段々と早くなっているように感じてなりません。
そう考えると、これからの時間もまだまだあるように思えて実はものすごいスピードで過ぎ去ってしまうものなのでしょう。
せっかくの貴重な時間を、億劫がって無駄にしてしまったらとてももったいないこと。
「いつかやろう」ではなく、「今日やろう」と心がけを変えてみたら、きっと新しい一歩が踏み出せるはずです。
それこそ、人生に後悔を残さないための大事な視点なのではないでしょうか。
それでは、また(^^)/ -メディア
この記事を書いたスタッフ
チューリップ企画コールセンターのわかと申します。
静岡の温暖な気候の中で育ったせいか、のんびりと構えていることが多く、周囲からはよく「いつも安定しているね」と言われます。
日常の様々な出来事を物語化することが好きです。
学生時代、家ではほとんどの時間を机の前で過ごし、ノートに散文を書きためる日々を過ごしていました。
そんな小さい頃からの癖で、日常の出来事を無意識に観察していることがあり、見ているうちに周囲の人間関係も客観的に把握することができるようになりました。
今まで見てきた人間関係、自分自身の悩んだ経験や、日々の電話応対の中でのお客様の声などを通して、皆様の悩みに寄り添える記事を書いていきたいと思います!