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幸せは恐怖の対象? 「幸せ恐怖症」から見る幸福の特徴

 

2020/01/16

いつもお読みいただき、ありがとうございます。
チューリップ企画スタッフのわかです。

幸せになるのが怖いとき

「女性が『幸せになるのが怖い』と言っているのが、以前は意味がよく分かりませんでした。でも今は、ちょっと気持ちが分かります」
先日、知人の青年がこんなことを言っていました。

友達と盛り上がって、楽しく過ごした後にとても寂しい気持ちになるのだそうです。
過ごした時間が楽しければ楽しいほど、終わってしまった後の落差に辛くなるものですよね。
誰にでも経験があるのではないでしょうか。

旅行や遠足の前の日、楽しみでワクワクして仕方なかったのに、いざ当日になると、終わりが近づいてくる寂しさの方が大きくなってきます。
旅行は行く前が一番楽しいのだということを、幼心にいつも感じていました。

どんなに楽しいことも、終わってしまったら寂しくなる。
だからこそ、「幸せになるのが怖い」と言われるのでしょう。

「幸せ恐怖症」とは

それがエスカレートしたものに「幸せ恐怖症」と言われるものがあるそうですが、女性に多いのだそうです。
「幸せ恐怖症」の人は次のような考え方をしていると言われます。

・ 親交を深めるためのパーティーやコンサートといった楽しいイベントに参加することに不安を覚える
・ 「きっと悪いことになる」という恐怖から、人生を変えうる大事なチャンスを拒否する
・ 参加者のほとんどが楽しいというようなイベントにも参加しない
・ 幸せになると何か悪いことが起きる
・ 幸せが自分を悪い人間にしてしまう
・ 自分が幸福になるのは家族や友人にとって良くないことだ
・ 幸せになろうなんて時間と労力の無駄

すべての人は幸せを求めて生きているはずです。
不幸になりたいと思っている人はいないと思います。
それなのに、幸せになることに恐怖を感じてしまうのは、幸せの特徴に原因があるのかもしれません。

私たちの求める幸せの特徴

私たちが求めている幸せには、「続かない」という特徴があるのだと言われます。
この世は「諸行無常」だからです。
仏教では、すべてのものは常が無く、続かないものと教えられています。
ですから、幸せもまた例外ではないのです。

冒頭にもあったように、幸せな時間、楽しい時間が終わったら、言いようのない寂しさ、悲しみと対面しなければなりません。
私たちの幸せは続かないものですから、幸せを手に入れたならば寂しさや悲しみとの対面は避けられないということです。
そして、幸せが長く続けば続くほど、大きければ大きいほど、失ってしまった時の寂しさ、悲しみは大きくなるのです。

最後結局裏切られるなら幸せになんてならない方がマシ。
そういう思いになってしまってもおかしくはありません。

では、幸せになりたくないかといったらそうではないでしょう。
「幸せ恐怖症」とは言っても、突き詰めてみれば、怖いのは幸せそのものではなく、幸せを手に入れたことで訪れる寂しさや悲しみなのではないでしょうか。
そう考えれば、すべての人が求めているのは、ただの幸せではなく、「永遠に続く幸せ」であることが分かります。

親鸞聖人が教えられた永遠に続く幸せ

親鸞聖人の教えが書かれた『歎異抄(たんにしょう)』では、この「永遠に続く幸せ」を「摂取不捨の利益(せっしゅふしゃのりやく)」と言われています。
摂取とは、がちっとおさめ取ること。不捨とは捨てられないことで、利益は幸せということです。
一度その身になったなら、決して変わることのない幸せが仏教には説かれているのです。

どんなに寂しい思い、悲しい思いをしたとしても、最後必ず報われる道がある。
それは、無常の世にあって、決して崩れたり壊れたりすることのない幸せで、今生きている時になれるものなのだよ。
だからこの幸せこそ、求めていきなさいよと勧められました。

では、どうしたらその幸せになることができるのでしょうか。
浄土真宗中興の祖であり、親鸞聖人の教えを正確に、手垢をつけずに伝えられた蓮如上人は、「聴聞に極まる」と言われています。
浄土真宗の教えは聞く一つだということです。

すべての人が永遠に続く幸せになれる道を教えられたのがお釈迦さまであり、親鸞聖人蓮如上人ですから、その教えをぜひ、続けて聞いていただきたいと思います。
それこそ、「幸せ恐怖症」を治す一番の方法なのではないでしょうか。

こちらの記事では、幸せと悲しみの関係について別の視点から紹介しています。

「愛」は苦しみを表すもの? 幸せと悲しみの切り離せない関係

それでは、また(^^)

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