富士山と正信偈 その魅力に気づくとき
2020/01/16
皆さんこんにちは!
チューリップ企画コールスタッフのわかです。
突然ですが私は静岡出身です。先日、静岡に用事があり、高速バスと電車に揺られて帰りました。
いつも実家に帰るときは車を使うのですが、今回はゆっくり景色を楽しみながらの移動でした。
今の季節は緑が目に鮮やかで、普段ずっとパソコンに向かっている目も多少癒されたように思います。
社会人になったばかりの頃、以前働いていた会社の上司から富士山を初めて見たときの感動を熱く語られたことがありました。
何気なく話をしていた時に私が静岡出身だと知った上司が、突如目を輝かせ、言うのです。
「新幹線で静岡に行ったとき、突然窓の外に大きな富士山が見えて、あれは感動した!」
そして私に同意を求めてきました。「なあ、あの景色は感動するよな!」
その時は当たり障りのない相槌を打っていましたが、生まれた時から富士山の見える場所で育った私にとっては、「どれだけ日本一の山」だと聞かされても、富士山は「そこにあって当たり前」の存在でしかありませんでした。
有難みを感じることがあるとすれば「富士山のある場所を確認すれば東西南北がわかる」ということぐらいでした。
「灯台下暗し」とはよく言ったものですが、近くにあるものはよく見えるはずなのに当たり前すぎてその存在を見落としていることが結構あります。
「その気になればいつでもわかるから」という思いがあるからなのかもしれませんが、地元の地理も実はあまりよく知らなかったりします。
静岡から離れて8年。私には県外に出たからこそ見えるようになったものがたくさんあります。
北陸で出会った人たちから言われて気づいたことも多く、上司から上記のように感動を語られた時、私は初めて故郷の魅力を知ったのです。
灯台下暗し?『正信偈』の教えとは
先日、コールセンターに次のようなお葉書が届きました。
『正信偈』がわかってうれしい!
お寺で毎月10日に定例会があり、『正信偈』等、皆さんと和読していますが、全然意味が分からないままでした。
少しずつですが理解できるようになり嬉しいです。
もっと早く『とどろき』の本に出会っていたらと思っています。
(鹿児島県 80代 女性)
『正信偈』に小さいころから親しんでいて、暗記するぐらい何度も読んでいるけれど、その意味は分からないと言われる方から、こんな声がよく寄せられています。
「『正信偈』の意味を知りたい」という理由で『とどろき』を読まれる方はたくさんおられるんですよ。
小さいころは言われるままに読んでいた『正信偈』も、大人になってふとした時に「そういえばどういう意味があるんだろう」と気になってくるのかもしれません。
仏教の大切さに気付くきっかけ
また、このようなお葉書もいただきました。
子や孫に残せるもの
毎月届くのが楽しみで、隅々まで読んでいるうちに、すっかり心の支えとなりました。
2人の子供と2歳になる孫に残せるものは、仏法しかないと思いました。
(埼玉県 50代 女性)
日本人のほとんどが仏教に何らかの関わりを持っていると思いますが、どういうことが説かれているのか、は驚くほど知られていないようです。
きっと身近にありすぎて、「当たり前」になってしまっているのでしょうね。いろいろなことをきっかけに、「仏教とはすごい教えなのかもしれない」と感じられる方が増えているようです。
仏教の大切さに気付いていない方がまだまだたくさんおられるのだろうと感じます。
私が上司から言われて初めて富士山の魅力に気づいたように、人から言われたり、聞かされたりして初めて気づくこともあると思います。
『とどろき』をきっかけに、どんな人にも大事なことを示されているのが仏教だと、知ってもらえれば嬉しいです!
それでは、また(^^)/
『正信偈』を書かれた方といえば親鸞聖人ですね。
→浄土真宗の祖師・親鸞聖人ってどんな方?そのご生涯とは
この記事を書いたスタッフ
チューリップ企画コールセンターのわかと申します。
静岡の温暖な気候の中で育ったせいか、のんびりと構えていることが多く、周囲からはよく「いつも安定しているね」と言われます。
日常の様々な出来事を物語化することが好きです。
学生時代、家ではほとんどの時間を机の前で過ごし、ノートに散文を書きためる日々を過ごしていました。
そんな小さい頃からの癖で、日常の出来事を無意識に観察していることがあり、見ているうちに周囲の人間関係も客観的に把握することができるようになりました。
今まで見てきた人間関係、自分自身の悩んだ経験や、日々の電話応対の中でのお客様の声などを通して、皆様の悩みに寄り添える記事を書いていきたいと思います!