混迷の時代を切り開く書『サピエンス全史』の驚くべき主張「すべてはフィクション」と『歎異抄』
2020/01/16
こんにちは!チューリップ企画スタッフのみやこです。
以前にNHKのクローズアップ現代+にて「“幸福”を探して 人類250万年の旅 ~リーダーたちも注目!世界的ベストセラー~」という放送をしていました。
久しぶりに知的好奇心が駆り立てられる面白い内容でした(*^^*)今回は番組内で紹介された『サピエンス全史』、そして『歎異抄』がテーマです。
世界的ベストセラー『サピエンス全史』とは
『サピエンス全史』という本をご存知でしょうか?世界48か国で200万部以上売れているベストセラー書籍です。混迷の時代を切り開く書として世界のリーダーが注目しています。
フェイスブック創業者のマーク・ザッカーバーグ氏は「この世の謎を解き明かしてくれる知的冒険の書だ」と言い、マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏は「人類の未来が気になっているすべての人に薦めたい」と推薦。
他にも、オバマ大統領は「私たちが驚くべき文明を築くことを可能にした核心が語られている」と述べています。
今までにない新しい切り口で書かれている歴史書なので、大きな反響を呼んでいます。
驚異の主張「すべてはフィクション」
著者はイスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏。氏は「人類が繁栄したカギは、フィクションを信じる力だ」と主張しています。
会社やお金だけでなく宗教法律国家もそうです。これらは全て人間が生み出したフィクション。それをみんなが信じる事で人間は発展してきた(クローズアップ現代+より)
フィクションとは「作り事。虚構」のことです。「いやいや、ウソを信じたい人なんていないでしょ?」と一瞬は思いましたが、よくよく考えてみると世の中は虚構で作り上げられています。
日々の営み=フィクションを信じること
たとえば、お金を考えてみましょう。紙幣は材質から言えば「紙」です。「紙」が日本銀行で印刷されると、「1万円という価値」を持ちます。紙クズはごみ箱行きですが、1万円がクシャクシャになっても捨てません。大事に財布にしまうのは、1万円の価値を「みんなが信じている」からです。
法律を考えたいと思います。車が交差点を進むことができるのはなぜでしょうか?
一方の車が赤信号で止まっているからです。赤信号では止まれと教育され「みんながそれを信じている」から不要な交通事故が起きません。
法律を作り、それを人が守るからこそ社会の秩序が保たれていますよね。著者も虚構がなければ人間生活が成り立たないと主張しています。
苦しむのは…フィクションが崩壊したから
私たちはフィクションを現実と信じ込み、社会生活を送っています。フィクションで成り立つ世界が「当たり前」であり、疑問の余地はありません。しかし、ひとたびフィクションが崩壊すると、どうなるでしょう?
たちまち苦しみや不安に襲われます。
私たちは1万円の価値というフィクションを信じ切っています。しかし、お金の価値が暴落して1円にも満たないとなれば、どうなるでしょうか。紙くず同然となった札束を両腕いっぱいに抱え込んでもパン一つ買えません。
健康なときは「病院なんて年に一度の検診にしか行かないさ」と思っている人でも、何かのきっかけで病気やケガをすると「なんで自分だけがこんな目に遭わないといけないんだ。何も望まない、ただ健康な身体に戻りたい…」と切に願うでしょう。
たとえ80年の生涯で、信じてきたものに裏切られなかったとしても、人生の終幕はどうでしょうか。
今まで現実だと固く信じ込んでいた全てが、フィクションだったと知らされる時が、いずれ必ずくるのではないでしょうか。
”真実あり”の『歎異抄』
『サピエンス全史』が出版される、はるか昔の800年前から「この世のすべては虚構であり、まことは無い」と断言され、その上で「信じて悔いなしといえる真実の幸せがある」と宣言されたのが親鸞聖人です。深い親鸞思想に日本、世界の教養人が多大な影響を受けているのも頷けます。その一人が20世紀に活躍した哲学者・ハイデガーです。『歎異抄』を読んだ感想をこう述べています。
── 人々が、親鸞聖人の教えをわがものとしたなら、そのとき、世界の平和の問題に対する見通しがはじめてつく。
混迷の時代を切り開くカギは、親鸞聖人の教えにあるということでしょう。生涯で一度は学んでおきたいものが親鸞聖人の教えだと感じました。
さて、今回のブログは大学のレポートを書いている気分でした(笑)「当たり前」を疑うと、見えてくるものがありますね(^^)♪
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
それでは、また来週ヾ(。・v・。)
『歎異抄』については、こちらの記事もおススメです。
「悪人」とは人間の代名詞 『歎異抄』から知る真実の私
この記事を書いたスタッフ
チューリップ企画スタッフのみやこです。主に電話でのお客様サポートや『朗読版とどろき』の吹き込みを行っています。
信仰心の篤い浄土真宗の家に生まれたので、3歳の時にはすでにお仏壇の前で「正信偈」をあげており、小学1年生の時には諳(そら)んじるまでになり得意顔で親に披露していたものです。平成生まれにしては、ちょっと珍しい特技だったかも?(笑)
兄と弟に挟まれおてんばに遊んでいた私も、思春期になりある悩みが頭をもたげます。それは「私とは何者か?」「死が恐ろしい」…なかなかディープですよね。クラスメイトには悩みに共感してもらえなさそうで、周りより少しクールな中高生だったように思います。
その頃から「仏教に答えがあるのでは?」と仏教書を読んだりするように。なんやかんやあって、今では仏教月刊誌を出版する会社に就職!ブログでは「なんやかんや」で知らされた仏教の深さをお届けしたいと思います。よろしくお願いいたします。