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延ばした命で何をする? 仏教に説かれる苦しい人生を生き抜く意味

 

2020/01/16

いつもお読みいただき、ありがとうございます。
チューリップ企画スタッフのわかです。

「夢の新薬」がもたらす光

昨年、本庶佑教授がノーベル賞を受賞したことで有名になったがんの治療薬オプジーボ
夢の新薬」とも呼ばれ、がんの治療に新たな道ができたと期待されています。

従来の抗がん剤は、がん細胞を直接攻撃するというもの。
それに対し「オプジーボ」は、自身にある免疫力を高めて、がんを退治するという、全く新しい発想から生まれたと聞きました。
現時点では、がんの完治というよりは延命に効果があるという段階だそうですが、いずれ研究が進めば、がんの完治が実現するかもしれませんね。

このオプジーボは薬価が高く、投与するにはかなりのお金が必要だそうです。
1年間で1千万円とも言われていますが、闘病されている方からすれば、命を延ばせるかどうかの重要な問題です。
生きることには、それだけのお金を費やしてもよいと言えるほどの価値がある。
そう思うからこそ、多くの患者さんから求められているのでしょう。

苦しい人生を生き抜く意味とは?

ところが一方で、健康体であっても自ら命を絶ってしまう人がいます。
最近も、2016年に山口県で高校2年生の生徒が自殺した件で、先生や生徒によるいじめがあったことが明らかとなり、大変な問題となっています。
亡くなった生徒さんは、誰にも相談できず、逃げ場もなく、苦しくて仕方なかったのだと思います。
こんな苦しい人生に一体何の価値があるのか、分からなかったのでしょう。

みんな、生きることには価値があると言います。
しかし一方で、なぜ生きなければいけないのか、生きることにはどのような価値があるのか、苦しんでいる人にそれをはっきりと示せないのも現実です。

延ばした命で何をする?

よくよく考えてみると、世の中のことはすべて命を延ばすための営みではないでしょうか。
医療はもちろんですが、科学技術の発達も、より快適な暮らしを実現し、生きやすくするためです。
政治や経済も、法律も、スポーツも、芸術も、私たちが長く生きていくためには必要なものでしょう。
その目的通り、現代は昔よりもだいぶ長く生きられる世の中になりました。

しかし、たとえどんなに長く生きることができても、私たちは最後必ず死んでいかなければなりません。
いずれは終わっていく人生の時間を、莫大なお金をかけ、苦しい思いをしてまで一生懸命延ばすことには、どんな意味があるのでしょうか。

仏教に説かれる延ばした命の価値

仏教を説かれたお釈迦さまは、次の言葉を残されています。

人身受け難し、今已に受く。
仏法聞き難し、今已に聞く。
この身今生に向って度せずんば、さらにいずれの生に向ってか、この身を度せん
生まれ難い人間に生まれ、聞き難い仏法を聞くことができた。
何がなんでも今生で救われねば、いずれの生で救われようか。
永遠のチャンスは今しかないのだ

すべての人が「人間に生まれてよかった!」と心から喜べる幸せの身になることができる。
それは今生きている時になれる幸せだから、それこそ、私たちが生きている目的だと教えられています。

この幸せになるためには、なんとしても生き抜かなければなりません。
だからこそ、1分1秒でも長く命を延ばすことには大変な意味があるのです。
だからこそ、自殺は絶対にしてはならないと言われているのです。

延ばした4か月の大きな価値

オプジーボを投与し続けることで、本来余命9か月だった人が4か月延命できたという話を聞きました。
大変なお金をかけて、4か月の延命。
この4か月をどう受け止めるかは人によって異なると思います。

仏教では、一人一人に尊い目的があると教えられます。
その目的達成に向かう日々には、かけがえのない価値があるのです。
ですから、医療技術の進歩によって延びた4か月の命にもまた大変な価値があるということです。

仏教に説かれていることを知ることは、自らの命の価値を知ることでもあります。
その価値を知ることが、人生に力を与えてくれるのではないでしょうか。

それでは、また。

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